表現のつまみ食い

表現のおいしいところをつまみ食いするエッセイです。

感謝が人を呼ぶ

「いただきます」と「ごちそうさまでした」を言わなくなった日を覚えているだろうか。問いかけた本人も覚えていない。気が付けば周りに流されるただ食べるだけの人間になっていたのだから。

 

美味しいお蕎麦と天ぷら

先日祖母と食事をご一緒した。年々衰えているものの今でもこうしてご一緒することが出来る元気なお年寄りだ。

この日は三鷹にある御狩野(みかりの)そばでお蕎麦と天ぷらをいただいた。お蕎麦は舌触りの良さがあった。天ぷらの方はカリッとした程よい食感だった。サクサクではない、絶妙なカリッだ。この心地よい食感に感激を受けた。あまり喋らない祖母も天ぷらのことを口にしていたので間違えない。

 

お会計も済み帰ろうとしたときだった。

「お蕎麦が凄く美味しかった。天ぷらもカリッとしていた。あのカリッはなかなか出せない」

珍しくお会計を担当していた店員さんに話しかける祖母の姿があった。急にスラスラと話しかけるものだからこっちも驚いた。おまけにジェスチャーをつけて力説していたので余程美味しかったことが分かる。

さらに店員さんも応えるようにお礼とちょっとした小話を挟んだ。なんでも天ぷらは揚げたてを提供していて、お蕎麦は今一番いいものが入ったようだ。最後に親しみを込めてこんなことを口にしてお辞儀をしていた。

「また来て下さい」

 

想いを伝える

一連の会話を目にして急に太陽が差し込むような高揚感になった。感謝を伝える大切さ。その感謝に応えるように感謝を返す大切さ。そういう想いが溢れてきた。

実は「いただきます」と「ごちそうさまでした」にはちゃんとした意味がある。それが感謝である。今ではせめてこれだけは言おうと心掛けている。

でもいつか美味しかったことをちゃんと伝えたい。ただ伝えるのではなく感謝するように伝えたい。そう伝えることがまた行きたくなる、また来て欲しくなるに繋がるのだから。