表現のつまみ食い

表現のおいしいところをつまみ食いするエッセイです。

見えない鎖

  カメラマンを目指して日夜模索している。模索しているが、その道のりは非常に厳しいものである。登山で例えると険しい山頂を目指しているが、登山道以前に登山口がどこなのかもわからないのだ。例え見つけたとしても登山が出来ているかもわからないので、そうやすやすと立ち入れる道ではないようだ。

 ただ山を上っているのは間違いない。先日コンテストでそれなりの賞をいただけた。本当に続けてきて、やっと頂きが以前と比べて近くなったのは確認できた。そう言ってもほんの少しだけなのは間違えないので、気を緩めることは全くできない。

 そしてコンテストの受賞を機に、あることを試みた。それが1ヶ月撮影耐久である。

 

 字のごとく1ヶ月間、すべての日程を写真に注ぎ込むというものだ。写真をやりたいものには夢のまた夢かもしれない。徒歩圏内でやりくりする以外は細かい規定もなく、その写真をひたすらTwitterに投稿していた。一応、カメラマンにはなっていないが、予行演習という名目で取り組んでみた。

 さて夢のまた夢な1ヶ月が終わった。9割型の日程を撮影に費やして、目標に関して言えば達成したに等しい。期日という焦りがない開放感と天候に左右されない日程が撮影の自由度を高め、ストレスが少ないようにも思えた。

 ただ1ヶ月を終えて見えてきたのは、達成感を感じていないことだった。確かに縛られないフリーな状態だが、何故かストレスがあるようにも思えた。そのことが達成感を感じなくなっていたようにも思えた。それに加えて作品も、拠点が大体同じ場所、同じようなものが多くなっていて、単調で面白味が欠けるものになっていた。当然質に関しても以前のほうが盛り上がっているようにも思えた。

 1ヶ月の終わりも体調不良による強制終了となり、何とも言い難い結果となった。本当にあの1ヶ月は何だったのか。

 

 あの1ヶ月で得たものは何か。不甲斐ない結果を出すだけでは物足りず、分析してみてることにした。

 まず浮かんだのが経済面である。1ヶ月を写真に捧げてしまい、仕事面が全く手を付けていなかった。写真を撮っていたからと言ってお金が降って来るわけでもなく、コンテスト受賞時も特に変わったことはなかった。むしろマイナスという貧しい状況下が、日に日に恐怖を植え付けているようにも思えた。

 ただ本当にそれだけなのか。恐怖に怯えているのならば、継続せずに作戦を切り替えていたかもしれない。それだけでなく充実した日が期間中一日だけあった。お恥ずかしながらも経済面に対する恐怖は少々弱いと思った。

 

 では恐怖以外に何があるのか。考えて見えてきたのが、実は何気なく好んでいたちょっと意外な存在だった。それがこの期間に明確な終わりがなく、制約がないことだ。

 普段の生活とあの1ヶ月の違い。経済面の恐怖を除くと、実は邪魔だと思っていた制約が大きな原因だと感じた。確かに仕事合間の休日に何をやるか、時間がない中で何が必要なのか考えながら行動していた。少ない時間かつ少ない状況下でやりくりしていたが、喜びや質に関していえばあの1ヶ月よりも大きなものを感じていた。実は知らず知らずにこのことが作品づくりを大きくしていたと思った。ただ仕事が写真づくりの差し障りになっていたことは否定したくない。

 この何気ない制約が変化を気付かせるきっかけとなっていた。きっとあの1ヶ月は単調で等速な進みをしていたせいで、変化や要点を探すことが出来なくなっていたようだ。その一方で間隔的に制限を設けていたときは、一つひとつの少ないことに喜びを感じていたのかもしれない。

 あの1ヶ月のとき、唯一達成感があったあの1日。実は一日乗り放題のフリーパスを使用していた。もう残り時間がない、この天気ならフリーパスで行けるあそこしかない。そういった以前のような無意識の締め切りが、自然と作品の質を上げているようにも思えた。

 仕事中も写真の事を考え、次の休日が待ち遠しい。そして休日は全力疾走で、可能な限り写真に収める。メインは写真であって、仕事はお休み感覚かもしれない。仕事中も晴れていればあそこに行きたいと考え、休日の移動中に見えてくる発見など、何気ないことが重要だったかもしれない。

 これは間違えなくランナーズハイで、酔いしれていたことは否定できない。ただ明らかに写真のおもしろさだけでなく、質に関しても酔いしれていた頃の方が引き締まっていた。実は邪魔だと思っていた見えない鎖が、自分をより強くしていたかもしれない。

  

 自由な方がいい。好きなタイミングに、好きな気象状況で、好きな時間に、好きなものが撮れる。その好きで固めるものが満足への近道かもしれない。

 ただ限られた状況下の中、いかに1番良いものを見つけられるのか。そこに作品のおもしろさだけでなく、創作者の力量があるのではないのか。