表現のつまみ食い

表現のおいしいところをつまみ食いするエッセイです。

3つの写真家

 写真家になりたい。そんな話をしたら、突き落とされることもあったが、何度か助けられた、とあるクリエイターとお会いできた。今回も相談に乗っていただき、貴重なお話を伺うことができた。内容は変わらず写真家についてだ。

 

商業の王様は誰か

 報道、商業、アート。この3つが写真を売り込む大きな軸となる。混ざり合うこともあるが、今回は独立したものとする。

 この3つにはそれぞれ立場が異なってくる。

 雑誌、広告などの商業写真。ここでの立場は橋渡し役になる。クライアントが消費者に売れる写真を提案し、それに見合ったものをつくる。売るのは消費者ではある。でも大前提として、クライアントの欲しいものをつくらなくてはならない。

 例えば、ひとつの王国がある。王様がクライアント、市民が読者になる。写真家は王様の下に付く兵隊である。王様の指示を聞き、市民の為に働く。これが兵隊である商業写真家の役割だ。そして商業の王様は写真家ではなく、クライアントなのだ。

 

 ちなみに今回省略された報道は、商業と似ているところがある。恐らくなのだが、欲しい瞬間を記録する。これが報道の使命かもしれない。

 

独立国アート

 クライアントの下に付きたくない。そんな写真をやりたい場合はどうするのか。これがアートになる。

 アートは独立国だ。王様は自分なので、好きなようにやる。市民である読者もどれぐらい付くかはわからない。でも付かなくても問題はない。それがこの独立国のルールなのだから。

 ただ人間は欲深いものである。写真でちやほやされたり、アーティストして売っている人を見て羨んだりもする。そんなことを実現するにはどうしたらいいのか。

 王様は自分である。つまり自分がクライアントになるのである。要望を考え、宣伝を行い、出展して、技術を学ぶ。本来クライアントの役割も、基本的に自分一人で行わなくてはならないのだ。

 ただこれらの判断は王様、つまり自分次第なのだ。それが独立国アートの世界である。やらなくても問題はないのだ。

 

欲しいのは切り口

 報道、商業、アート。独立はしているが、時々混じり合うこともある。ただ売り込む上での共通点が存在する。

 それが切り口だ。噛み砕くとどういう言葉がいいのか。クライマックスだと思う。

 題材や読者層など、それぞれ使うものは異なる。ただ題材が良いからと言って読者が満足してくれるかは別だ。一時良くても、素材が良いだけと判断され、読者が離れることもある。素材の善し悪しとは別に、何か引き付けられる作品をつくらなくてはならないのだ。

 クライマックスとは何か。読者の心に来るだけでなく、読者が動かされる作品。これがまず最初に思い浮かんだ。あの場所に行けばクライマックスが撮れると真似したくなったり、この人と言えばこの作品と言って貰えたり。そんな読者が勝手に動いたり、動かされる作品のことだと思う。

 写真家には3つの軸がある。でもクライマックスを考えなくてはいけない。それが読者が一番求めているものだから。